廻城跡 (仁田尾城跡)

(JST) 更新 / (JST) 公開

廻城跡 (めぐりじょうあと) は、霧島市福山町福山にある、かつて廻氏の居城であった山城の跡地です。

現在、城や建物はありませんが、錦江湾と桜島を眺めることができるスポットとして知られ、太陽が桜島の上に沈む時期には、ダイヤモンド桜島を見ることもできます。

廻城は、仁田尾城(にたおじょう)ともいいます。

※ トップの画像 : 廻城跡から見た錦江湾と桜島

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基本情報

名称めぐりじょうあと (にたおじょうあと)
廻城跡 (仁田尾城跡)
住所鹿児島県霧島市福山町福山
休日なし
駐車場駐車スペースあり
利用料金なし
廻城跡 石碑
石碑 「廻城本丸跡地」 – 矢印が書いてあり、不明瞭だが、恐らく、220 mと書いてある。
廻城跡 供養塔
供養塔 – 表面には「為廻家先祖代々菩提」とある。昭和59年 (1984年)、末裔の方が建立。
廻城本丸跡地に続く道
駐車スペースに入るカーブの辺りに森の中に入る道があり、廻城本丸跡地に続く。
廻城本丸跡地に続く道
廻城本丸跡地に続く森の中の道。

歴史

三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)には、廻城 (仁田尾城) に関して、次のように書いてあります [1] (以下は、筆者による要約)。

  • 1180年、源頼政の孫、宗綱が廻村に移り、代々、地名から氏を廻とし、仁田尾城を居城として、廻村を領有していました。
  • 1561年5月、廻氏15代の久元が盲目であり、久元の子が幼くて体が弱いという弱みにつけこんで、肝付兼続が仁田尾城を襲い、奪います。
  • 同年6月、島津貴久、島津義久が仁田尾城を攻め、貴久の弟、島津忠将も戦います。しかし、忠将は戦死してしまいます。これを聞いた貴久、義久は、とても憤り、兵を率いて、仁田尾城を攻め落としました。

また、現在、福山と呼ばれる地域は、16世紀中頃まで、廻村と言われていましたが、忠将が討死したことから、貴久が「災いを転じて福となす」として、地名を福山に改めたと語られています [2]。

ダイヤモンド桜島

福山町の桜島が見える所では、12月頃、桜島の頂上付近に太陽が沈む様子を見ることができ、ダイヤモンド桜島と呼ばれています。

廻城跡からも、12月の中頃、ダイヤモンド桜島を見ることができます。

駐車場

駐車できる広いスペースがあります。

廻城跡 駐車場
駐車できるスペース

※ 以下の地図の地点 : 廻城跡の駐車できるスペース

地図

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アクセス

県道478号線 (宮浦宮横を通る牧之原に上がる道) の中茶屋公園より少し上がった所に廻城跡に続く道があります。県道沿いに道標が立っているので、道標が示す細い道に入ります。細い道は、林道のようになっており、舗装されていますが、すれ違うことはできない道幅です。また、道路脇の草木が飛び出してきている所もあります。道を進むと、行き止まりに舗装された駐車できる広いスペースがあります。

廻城跡 県道478号線から廻城跡に続く道
県道478号線から廻城跡に続く道に入る所。
廻城跡 道標
県道478号線沿いの道標 – 道標の示す方に細い道を進む。

コメント

インターネット上の情報を見ると、駐車スペースの北西に三角点 (278.9 m) のある山がありますが、本丸は、そのもう一つ北西の山にあったようです。

私も、本丸跡を見ようと思い、森の中の道を進んでみましたが、途中、倒木があったり、通路に若い木や植物が多く生えたりしており、また、夏に行ったため、蚊や虫がたくさん飛んできて、落ち着いて探すことができず、本丸跡にたどり着くことができませんでした。大きな石垣が組んであるような城ではありませんが、インターネット上の情報を見ると、見る人が見れば、城の構造の跡が分かるようです。私には、自然の地形なのか、城の構造なのか、よく分かりませんでした。余裕のある方は、本丸跡地を目指してもいいかもしれませんが、夏は避けた方がいいかもしれません。

近くの観光スポット

※ 中茶屋公園は、ダイヤモンド桜島を見ることができるスポットとして有名です。

参考文献

  • [1] 五代秀尭, 橋口兼柄 共編『三国名勝図会 : 60巻』12(巻之34-36), 山本盛秀, 1905.
  • [2] エコミュージアム福山. “霧島市福山町ぶら~り酢っきり散策マップ(海岸編)”. https://www.city-kirishima.jp/kirikan/kanko/leisure/documents/23778.pdf, (2024年7月29日アクセス)